バブル全盛期、3年ほど派遣会社から有名大手電機の地方支社の営業部門に派遣されて事務職をしていました。
時給は1,000円で土日休みと当時としてはかなり割が良い仕事でした。
また残業もなく主な仕事は数千の顧客情報の管理のみ。
毎日情報の更新と入力・ダイレクトメール作成等をしていました。
PC入力の他には電話対応ぐらいしかなかったですし、社員は皆自動販売機を利用するのでお茶入れなどもする必要がありませんでした。
その当時、ラップトップPCが出たばかりで、持ち運びが重たかったことぐらいしか大変だった点はありません。
とにかく景気が良い時代だったため、派遣先では自分でランチ代を払ったことが1度もありませんでした。
毎日毎日上司が中華料理店や寿司屋さんに連れ出しておごってくれたのです。また、夜の飲み会さえも自腹で払うことがありませんでした。
仕事はPCがある程度使えれば誰でもできるような内容で簡単でした。
派遣先の制服を着ているので取引先の人達からはその会社の人間だと思われてよく遊びに誘われたりもしたものです。
派遣社員なのでボーナスはなかったのですが普通に仕事をしていただけで「支社長賞」をいただき金一封をもらえました。
毎月2万円ほどの貯金ができて新婚旅行には念願の海外旅行にも行くことができました。
いろんな面で実入りが良い楽な仕事でしたね。
それもバブルの時代だったからこそですが、今思えば天国だったと感じます。
出張もあって地方の展示会に行くこともありました。もちろん新幹線代もホテル宿泊代も食事も会社持ちです。
実際の仕事もPCに付いて入力するだけという簡単な内容でしたので、ちょっとした旅行気分でした。
とにかく上司が経済的にも豊かでしたし若かった私は可愛がっていただきました。
オーストラリアで挙式した方から高価なお土産をいただいたり「買い換えたから」とお古のスキーウェアをもらったり、展示品のワープロ(PCではない)を安く譲ってもらったり、販促品の非売品アイドルテレホンカードをもらったり…
物質的にもいろいろいただきました。バブルがはじける間際に寿退社で派遣終了になりましたが、お洒落なレストランで送別会を開いていただき大きな花束までもらいました。
その後あんな大きな花束は誕生日にもいただいていません。その上、上司がデパートに連れて行ってくれてアクセサリー売り場で好きな物を選ばせてくれました。
送別会で宝石をくれる職場なんて、まずないと思います。仕事も楽でしたが給料の他にも得をした職場でしたね。
ちなみに自分が所属していた派遣元の会社には就職時と退職時の2回しか行ったことがありませんでした。
(楽な派遣の仕事体験談 40代女性)